2010年03月21日

michelleの話。

みしぇは下諏訪町で植物好きの両親に育てられました。
初めて花の仕事をしたいと思ったのは小学生の時。
クラスではいつも花係でした。

michelleの話。


そんな私が選んだ進路は恵泉女学園短期大学園芸生活学科。

その学校は、今では趣味の園芸などにひっぱりだこの
野菜の藤田先生などが教鞭をとっていました。
午前は講義を受け、午後は実験や畑での実習をするというスタイルで
細胞レベルの勉強から 種を播き 栽培し 収穫し 加工し 装飾し 出荷する 
という全ての流れを教えてくれる学校でした。

構内には学生が育てた花が咲き乱れ、様々な庭があり、いつも花に囲まれていました。
そんな暮らしをしているうちに、私の興味は庭へと向かって行きました。
庭という空間で過ごすあの時間。
その特別な時間に私は魅かれ、卒業後専攻科に残り
花を使ったイングリッシュガーデンなどを勉強してきました。

michelleの話。


折しも世間はガーデニングブーム。
私もイギリスへガーデニング留学をしたいとお金を貯める為に実家へ戻り
地元の造園会社に就職しました。
ところが当時世間の流れに乗って行けていた造園会社はほんの一握りだったんですね。
「芝を張れば洋風の庭になる」とか「花なんか単価が低くて儲からない」とか
私のやりたい事は一切やらせてもらえませんでした。
もちろん学校を出たての小娘に仕事を任せられるわけはないと今では分かるのですが
当時はそれだけではなく、それ以前に、もう言葉が通じないという次元でした。

昔ながらの松をチョキチョキする職人さんの流れそのままの会社で
それでもしばらくはオイサンに混じり、足袋をはいて、
ヘルメットをかぶり、毎日泥だけらになり働いていたのですが現実は厳しいものでした。
働けば働くほど、情熱だけでは叶わない「力」不足を感じ負い目を感じるようになり退社。
自分には他の花の道があるのかもしれないと、生花店や苗物屋などで働いてもみました。
けれどどうしてもしっくりくる自分の居場所は見つかりませんでした。

michelleの話。


そうこうしているウチに結婚をし、自分の家を建て、出産を経験し、
自分の庭を子育て中の少ない時間で作って行く中で、
周りの人から花や庭について相談を受ける事が増えてきました。

今は同居する事も少なくなり、コンパクトな家が沢山建っています。
庭も小さくなり、職人さんが手入れをする日本庭園から、
奥さんが中心になって家族で楽しむ庭へと変わってきているように感じます。

その為、お金のかかるイメージの造園会社は敷居が高く、頼むほどの広さでもない。
でもいざ自分でやろうと思っても、じゃあ実際どこから手をつけていいのか、
冬の寒さが厳しいこの長野で、何を植えたらいいのか分からない。
そういう人が多いのではないかという思いは日に日に強くなっていきました。

そんな時に、小さい子供を持つお母さん達はやっぱりなかなか働けない。
あってもフルタイムでないと採ってもらえなかったり、
子供が休めば職場に頭を下げないといけないし、なかなか厳しいのよね、
という話を聞いて「じゃあ自分でやってみようかな」と思ったトコから始まりました。

どんな庭のお仕事にしたいか。
私は、庭の植物はもちろんその庭での時間を素敵に過ごす為の
お手伝いが出来ればいいなと思います。
ガーデナー、庭師としてだけではなくその全てを提案していけたら。
そう考えたら、今まで自分が携わってきた全ての仕事の経験が強みに思えました。

最後の大きな壁だった土壌と薔薇も思いがけず自分がハマるというやり方でクリア出来ました(笑)

まずはその足掛かりとして、今「ガーデンコーディネーター」という資格の勉強をしています。
国家資格ではなく、受講してレポートを出せば誰にでも取れるようなものですが、
この肩書が自分のしたい事を一番上手く表していると思ったからです。
造園業には「施工技能士」などの国家資格もあるのですが
日本庭園や公園中心のこの資格は、私にとっては魅力のないものであるからです。

当面の目標は、この資格を取る事。
そして下の子が入園する2011年の4月のスタート向けて、
webや体制を整えていこうと思います。

 




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